top of page
【作品名】㉕再生
田中 等(HITOSHI TANAKA)
宮崎県生まれ
1949-
【作品に関して】
町の高台の一角に、古墳の散在する畑地が静かに広がっています。有名な西都原古墳に対して、東都原古墳と呼ばれています。その中の一つに石舟塚という古墳があり、塚の頂には盗掘に遭った石棺が橡の木の下に放置され、雨風に晒されたままになっています。けれども棺の内側には今も鮮やかに、埋葬時の紅ガラが残っているのが印象的です。
私が「再生」というシリーズで石に紅ガラを塗るようになったのは、単純に紅ガラと黒御影石の組合せに強く惹かれたからでした。カッティング部に土俗的な色彩の紅ガラを施すことによって、その陰影の中から作品に接する人々の様々な想念が蘇り、同時に有機的なフォルムが再生してくるというコンセプト。しかしこの表現の原点は、若いころ孤愁を紛らわせるためによく訪れた、あの石棺の記憶にあったようです。つまりは、石と紅ガラの組み合わせは、古人の感性が私個人の感傷を経て蘇生されたとも言えるのでしょうか。
【制作】2000米子彫刻シンポジウム
【会期】2000年7月22日~8月30日
【米子の抒情に感応して】
宿泊先のホテルわこうから、湊山公園のシンポジウム会場まで、ゆらゆらと自転車で往復した日々。昔懐かしい趣の路地や加茂川沿いの古い土蔵のたたずまい、こぢんまりとした市街地を抜けて行くのは気持ちのいいものでした。米子市は居心地のよい街でした。
この米子シンポジウムで制作した作品「再生」はここ数年来のシリーズ作品で、いつもは黒御影石に紅ガラを着彩して制作しています。けれど今回のシンポジウムの作品が設置されるのは、中海へ出る間際の新加茂川沿いの遊歩道でしたので、路幅の狭い場所には黒御影石よりも明るい石種の方が適しているように思いました。そこで今回は「再生」シリーズでは初めて、ピンク色の柔らかい色調の中国産御影石を選びました。大きさも、緑道を散歩しながら行き交う人々に撫でて行ってもらえるような高さで設定しました。結果的には黒御影石とは違った親しみやすい雰囲気の効果が出せたのではないかと思います。
作家にとって、シンポジウムでの作品制作は、その地域の人々や参加作家相互との様々な交流によって、得がたい経験と貴重な成果が生まれてくることが何よりの魅力です。また、これまで住んだこともない土地での一月余の生活は、いつもの環境とは異なった文化風土で生きることであり、普段のアトリエでの制作では体現できない要素が作品の制作背景として附加される気がします。
米子での制作の日々、私達の周りにはいくつもの楽しい夏の情景がありました。がいな祭りの万灯会の圧巻、湊での花火大会や精流しの感傷。また朝夕に若者たちがしなやかにボートを滑らせる中海と、対岸の島根側の緑との対比の静謐な美しさ。その中海から運ばれてくる涼風に、毎日の午睡は極上の快さでした。折に触れ口にした日本海の魚介の美味と地酒の旨さ。大山の伸びやかな勇姿と日本海の研ぎ澄まされた青み。それらをひっくるめた米子独特の味わい深い魅力が私の心の中に強烈に印象づけられ、その抒情に感応しながら私の作品は制作されて行きました。
私の作品がずっとここに在る限り、そして米子が米子である限り、私の作品は私と共有したこのひと夏の幸福に繰り返し立ち会っていくことでしょう。この嬉しさが米子のシンポジウムで最も心に染みたことでしたし、これまでのほかのシンポジウムでは感じたことのない感慨でした。
作家のわがままで、米子の皆さんには私達の思い至らないところでずいぶんご迷惑をおかけしたことでしょう。本当にお世話になりました。ありがとうございました。今度はいつか雪の米子を訪れて、私の作品と共に冬の風情を共有してみたいものです。
bottom of page