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【作品名】①太陽と月の神話
藤田 英樹(HIDEKI FUJITA)
鳥取県生まれ
1967-
【作品に関して】
米子は小さな街だけれども、なんだかゆったりとした時間が流れているイメージがありました。
私が現在住んでいる信州の、男性的で厳しい風土に比べ、広い空と日本海、デンとそびえる大山が織りなす風景からは、そこに住むもの全てを優しく包み込むような大らかな母性を感じます。それは故郷として自分自身の原点になっている土地だからそう感じるのかもしれません。
そういった米子の街を象徴する形として女性像を中心に据えた彫刻を作りたいと考えました。
背景の太陽と月は、そこに暮らす人の日々の営みを表しています。
作品の題名は「太陽と月の神話」ですが、特別な物語がありこのような作品とした訳ではありません。作品に向き合ってくれた人それぞれの暮らしの中にある物語を、この作品を通して感じてくれればと思います。
私自身、この作品の中にはっきり見えるのは、シンポジウム期間中に関わった沢山の人たちと、暑い夏の太陽の下で作られた物語であり、日々の制作後、夕暮れの中の語らいで紡がれていった物語です。ひと夏の様々な出来事が、この作品を通し、皆さんの記憶として、太陽と月の下での彫刻シンポジウムの物語として、思い返される作品となれば幸せです。
【制作】2006米子彫刻シンポジウム
【会期】2006年7月15日~8月26日
【作家からのメッセージ】
先日、ひと月ぶりに米子に帰った。シンポジウム終了後、慌ただしく米子を離れたので、きちんとした作品写真も撮れずにいた。
彫刻設置後、周囲の芝生の高さなど変更したこともあり、久しぶりに見る作品はなんだか新鮮に見えた。そういえば、米子を離れる直前に見た時には、設置したばかりにも関わらず鳥のフンにやられていた。こればかりはどうしようもないのかもしれないが、さすがに少し残念な気がしていた。しかし、その日見た作品はとても綺麗な状態であった。雨で汚れも落ちたのかなと少し安心して、写真を数枚撮り帰ろうとすると、西部総合事務所の谷口さんに偶然お会いした。雑談の中で、時々作品の掃除をして下さっているということを知り、シンポジウムの時の暖かな心遣いが今もそのまま続いているようでうれしかった。
シンポジウム終了後、長野に戻った私を待ちかまえていたのは、膨大な量の学校の仕事だった。一月半も留守にしていたのだから当然のことなのだが、しばらくの間はシンポジウムの余韻に浸る余裕もなく、あっという間に時間が過ぎた。
今年のあの夏の日は本当にあったのだろうか、なんだか夢だったようなそんな錯覚にとらわれた。そんな矢先、米子から新聞記事などの資料ともに、この文章の依頼が届き、改めて今年の夏を思い返す時間が取れた。
日々制作のことだけを考える充実した時間。私にとって夢のような時だった。開会式から数日は梅雨末期の大雨。シンポジウムは暑いものと高を括っていたので、ウィンドブレーカーやら長袖を急遽調達に走った。その雨とともにやってきたアシスタントの岩永君。散々"雨男"呼ばわりをされていた。このころはまだ「7月中が勝負です。」という言葉も笑って聞き流せた。
8月に入り彫刻教室が終わると、言われた通り時間はあっという間に過ぎていった。改めて知る"石"という素材の新鮮さ。徐々に近づいてくる設置予定日とシンポジウムの終わり。石との格闘。この仕事は自分一人の力ではおそらく出来なかっただろう。アシスタントの岩永君には本当に世話になった。岩間さん、明地さん、佐善さん、設置という締切が迫ってくる中、弱気になっていく自分を叱咤激励してくれ、色々な場面で支えてくれた。また何より、毎日来てくれるボランティアの方々。鳥取県西部総合事務所の方々。このシンポジウムを支えている沢山の人達の励ましが大きな力となってくれた。
設置の日、作品を吊り上げようとすると急に雲行きが怪しくなってきた。土砂降り。無事に設置は終わったが、その後は岩永君に責任をなすりつけていた"雨男"の称号を頂くことになった。
閉会式に流した涙。米子でこの夏にあったこと、出会った人。本当にありがとう。
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