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【作品名】㉞米伝説

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平井 一嘉(KAZUYOSHI HIRAI)
埼玉県生まれ
​1958-
​【作品に関して】
今回米子で制作するにあたり、子供と米の構成で作ろうと思っていましたが、毎日食べているお米なのにあまり知らない。お米は炊けば食べられるし粉にして焼けばおせんべいなど加工食品として保存食にもなり発酵させればお酒にもなる万能食品ですが、それが育つ過程の最初のところは見たことがなかった。知り合いの農家とお米屋さんで籾といろんな種類の米を頂いて形の違いを調べたり、水に浸して観察してみると、眠りから覚めたかのような生命力に感動しました。

弥生時代からの米作りとそれ以前からの人類の営みが永遠と続いてきた今。減反や少子化が進むなかで昔はどうだったとか、また何を未来に継続していったら善いとかちょっと足を止めて考える切っ掛けになってくれればと米伝説としました。

 

【制作】2002米子彫刻シンポジウム
【会期】2002年7月13日~8月25

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【米子彫刻シンポジウムに参加して】

初めて彫刻シンポジウムに参加したのは21年前。学生の身では買うこともできない大きな石を短期間で作ることや参加した人との交流でとてもよい体験ができました。ですから今回米子に呼んで頂いた事が非常に嬉しかったです。

昨年11月の下見で設置場所も隣の湊山公園の中ということで、ある程度高さのあるものを作ろうと思った。皆、置きたい場所は広さのある所でかち合い二度の阿弥陀くじで第三希望地になり、翌日石屋さんに連れて行って頂き原石探しをした。一つだけ、石の中に形が見えた白御影石に出会い注文した。

それから6月頃、市の文化課から制作プランを送るようにと、原石が制作会場に届いたが、半端でない大きさでもう動きませんと連絡を頂き、原石の写真と寸法書きのメモを元にデッサンを始めた。横にしたままで作れる形のエスキースを携えて40日間でできるか不安を残しながら米子に入った。

開会式の後、常駐の3トンフォークリフトで転がせるかトライ中に鍵の故障で動かなくなり、原石からどかすこともできず多難なスタートとなった。歓迎会どころではなかったのですが、市の方の歓迎と期待を肌で感じ、お酒も入り、「どうにかなるさ!出来るとこからやっていこう。」と前向きに作業を始めることにした。

市の担当の仲田さんにお願いして10トンの爪付き油圧ジャッキをリースしてもらい原石を動かすことができたので、最初にイメージした形に近いことができるとわかり、上部の浮き彫りから丸彫りに、エスキースから変え身軽にし、朝から暗くなるまで作業に集中した。

また市の関係者を交えて設置場所確認の時、昨年決まっていたにもかかわらず、思い込みで菱田さんの所に置くつもりでいて、自分だけ違うとわかり頭の中が真っ白になった。急遽別の場所を探し、今年度に含まれていない、開けた所に変更可能かお願いして、他にない適した場所に決まりうれしかったです。

フォークリフトで動かせる重さまで荒彫りが終わると、立てて見ながら作業を進めるため、作家の方や居合わせた教育長はじめスタッフの方に手伝ってもらい、石を立てることができ、それに合わせてテントも高くした。また、仲田さんの家からバレットと足場板になるような板を借りて、スタッフの方の手を借りて組み上げ、たてすを屋根にし、中海の見える高さで快い風に吹かれながら制作ができた。

砥石がけの作業の時は美大生や事務局の方にも手伝ってもらい、荒取りで出来た、棄てられる運命の石も市民の要望によってベンチにして作品の近くに置いた。予定以上の仕事をしたような気がするが、これもボランティアの方や事務局の方や実行委員会の方や会場に足を運んで下さった方や、一緒に制作を共にした三人の協力や励ましがあり皆で作り上げたものだと思っている。また、多くの催し物や接待に招待して頂き、温泉にも浸かれて良かったです。本当にありがとうございました。

 
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