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【作品名】⑦化石の街 NO.3
井田 勝己(KATSUMI IDA)
鳥取県生まれ
1956-
【作品に関して】
化石の街NO.3…卵2は舟のような1つの完成した形、または1つの宇宙の中に街の遺跡の様な形態を組み込むことによって個人的な面での街とのかかわりを考えさせる様な空間を表現したかった。
ですから、この作品は見る人それぞれによって感じ方や見方も違ってくるものと思われ、また作業としてもそうあってほしいと思うところです。
【制作】’90米子彫刻シンポジウム
【会期】1990年7月29日~8月31日
【’90米子彫刻シンポジウムに参加して】
全国で色々な形態の彫刻シンポジウムが、今年の夏も開催されましたが、米子のような民間主体のまさにボランティア精神を貫いているシンポジウムは、他に例を見ません。少なくとも私が知るかぎりでは、米子だけだと思われます。
この事は一面とても純粋であり、一つの理想的な形態であります。他方ボランティアということの弱さもあると思います。つまり運営という面からみると、責任の所在が曖味になりがちで特定の個人にそのしわよせがいきがちだと思います。作品を制作しながら、それらのしわよせを被った人達が大変苦労されているのを目にするたびに、地元出身である私などはとても複雑な思いにならざるを得ませんでした。
また、作家の方としては35日間の制作期間は、少々短く現模のシンポジウムとしては、最も短い例の一つと思われ、肉体的そして精神的にも辛いものがありました。しかし、8月に入ってから作家のヘルパーとして働いてくださる方がつきましたので、大いに助かりました。何一つ文句も言わずに毎日作業着を洗濯して下さった人達、募金活動や機材の準備をして下さった方々、写真を撮り続けたり、色々な差し入れ等ご協力をいただいた方々に感謝したいと思います。
そして、シンポジウムの最終日に事務局長さんが、作品が完成した喜びのせいか、目に涙をためておられるのをみて、私は制作の疲れも忘れて感動しました。最後に、作家がそれぞれ家に帰る時など、シンポジウム関係者に見送ってもらい、万感胸に迫るものがありました。ある作家などは涙が出そうで自動車から出る事が出来なかったといっていましたが、皆同様な思いで米子を後にしたと思います。今回のテーマ「出会い ふれあい」の通り、ボランティアの人達と作家との出会いや心のふれあいを通して、彫刻を完成することが出来たことに感謝したい気持ちで一杯です。どうもありがとうございました。
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