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【作品名】②雲が行く
岩間 弘(HIROSHI IWAMA)
富山県生まれ
1956-
【作品に関して】
3月に石選びを兼ね設置場所を訪れた時、プランニングの大きさではだめだと思った。内容の大きさも必要だが、実際の大きさも必要だと。同行していただいた友松会長さんにそのことを相談すると「私もそう思います」と一言。それから石材のサンセキさんへ直行。長澤さんが相手をして下さる。最初御影石で探すが、いまいちピンとこない。決定的な何かを探していたのだと思う。
そこで出会ったのが一個の蛇紋岩(じゃもんせき)だった。かなり以前にギリシャからこの地に来たであろうその石は古色を帯び、全体の量感と相まって凄味すら感じさせていた。石の周りをぐるぐる回っている自分に長澤さんは、「良い作品を作ってくれるなら使って貰っていいですよ」と言って下さった。「やった」と思った。有り難かった。彫った事のない石を彫るという事は、違う自分を探す事。同じように見えるかもしれないが、ちょっと違う。分っている事のその先の未知のものを素材との交感との中で探すという事。どこまで行けるのか。どきどきする楽しい時間の始まりだった。
夏が来ていよいよ実際の制作。立ち上がる形ゆえ立てて彫りたいところ、時間その他の制約を考え寝せて転がしながら形を出していく。最初から立てて彫っては出ない形が必ずあると信じながら。そしていざ立てた時、取り込めるものは取り込み、修整すべきものはこわしながら、大きな空間を感じながら、立ち上がるために、より切り込んでいく。制作時の自分の呼吸、リズムがそのまま形となって伝わる事を願った。
作品は作者の手を離れると一人歩きをして、それぞれの運命を持ちながら時間の旅へと出る。米子の空気を吸い、雲や山を感じながら、多くの暖かな人達との出会いの中で生まれた作品だから、四季折々の光や風の中で、おおらかに息をしていってほしいと願っている。
【制作】2006米子彫刻シンポジウム
【会期】2006年7月15日~8月26日
【作家からのメッセージ】
秋になって、真黒に日焼けした顔も、ようやく元に戻りつつあり、シンポジウムの事を懐かしく思い起こしています。仕事が大好きな4人のメンバーが怪我もなく、事故もなく、休日を取る必要もなく、ひたすら制作に熱中できて、それぞれが精いっぱいの作品を作る事ができたのは、会場へ来て下さった多くの方々、本当に良くしていただいたボランティアの方々、友松会長をはじめ実行委員会、関係者の方々の情熱と暖かな応援のおかげでした。心よりお礼申し上げます。
以前に参加された彫刻家の先輩や友人達から米子のシンポジウムはいいよという話はよく聞いていました。自身参加で来てその言葉の意味が本当によくわかった気がします。たぶん回を重ねられて確立されてきたであろう参加作家の受け入れ体制。毎日天候を問わず交代でお世話下さるボランティアの方々。そしてその人数の多さ。実行委員会の方々は会期中も定期的に会議、打ち合わせをしておられました。
基礎、設置を担当された方々も、労を惜しまず何度も何度も打ち合わせに足を運んで下さいました。設置場所の大西所長さんをはじめ県の職員の方々もよく見に来て下さり、いろいろと場所の事で相談にものっていただきました。友松会長さんは、雨の日も暑い日も自転車で毎日会場へ来られました。御高齢を全く感じさせない背筋の伸びた姿勢で、多くは語られないけれど、ユーモアと愛情のある、ちょっと引き締まる一言を毎日かけて下さって。山崎先生には、ちょっとバテ気味のところを見抜かれて、危うくドクターストップをもらいそうになり、いけないと思い新しい麦わら帽子を購入しました。御心配をおかけしました。
書ききれない多くの貴重な出会い、ふれあいがありました。シンポジウムは岐路に立っていますが、十回に及ぶシンポジウムで培われた人のつながり、そして心の財産は消える事のないものだと思います。むしろそれは伝播の宿命を持ったものだと思います。実行委員会、関係者の皆さんの御苦労は大変なものだとは思いますが、十回を終え、新たな展開を期待しています。美保湾、弓ヶ浜、中海、そして大山、美しく雄大でした。また、それぞれの名前もふさわしく美しいと思いました。大山の話になると米子の人達の目は、輝きを増します。かざらぬその土地の言葉も暖かでいいなと思いました。自然を愛し芸術、文化、人を慈しむ米子の皆さんにまたお会いしたいと思います。
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