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【作品名】⑪光の沈殿
小林 亮介(RYOSUKE KOBAYASHI)
長野県生まれ
1946-
【作品に関して】
わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です。
太陽風の粒子が地球の磁場に衝突してオーロラは発光するといわれています。
星は、そしてこれを見上げている生命は、どこから来て何処へ消滅してゆくのでしょう。輝いていると感じているこの一瞬にも光は静かに深く、時には身震いをしながらも沈殿し続けているのかもしれません。
すべてこれらの命題は心象や時間それ自身の性質として第四次延長の中で主張されます。
(宮沢賢治詩集「春と修羅」序より)
【制作】’92米子彫刻シンポジウム
【会期】1992年7月19日~8月27日
【’92米子彫刻シンポジウムに参加して】
米子を愛して
昨年の11月初旬、シンポジウムへの招待状を頂いた時、私は日本地図をひっぱり出して米子市の位置を捜しました。北アルプスの山々に囲まれた信州安曇野の盆地で育ち、ここを制作の本拠地にしている自閉症の私には、遠い山陰の彼の地が今までの私の地図には無かったのです。
梅雨明けを予告するような豪雨の中を10時間、大山SAでの仮眠から目覚めた私の眼下に、小雨混じりの雲間からかすかな日の出の陽光の中に、米子の街が静かにゆったりと呼吸していた情景が今も鮮明に思い出されます。
今回のシンポジウムは、既に第2回で指摘されていた、純粋にボランティアと寄付だけに頼った、一見すると無謀とも思える試みの持つ側面が、表に出てきたように感じました。特にスタッフの皆様は毎日がまるで綱渡りのように不安と緊張と疑問と自己の生活との戦いであったように思います。そして苦しい台所を作家の私達に見せまいとする気配りと熱意に胸がつまりました。しかし制作がすべて順調過ぎる程に消化され、怪我も病気もせずに、それぞれの世界を米子の街に展開できたことは、シンポジウムのテーマの「出会い ふれあい」があったからに他ありません。この志の旗のもと、次のシンポジウムが様々な障壁を乗り越え、米子の街づくりの核となり、米子の未来を探り、実現する原動力となるよう一層の飛躍を熱望致します。
たくさんの市民の方々が関心を持って現場を訪ねて下さいました。会期も残り少なくなったある日の午後、銀髪の御婦人が一言「米子も愛してやって下さい」そういって立ち去った後ろ姿が忘れられません。
米子の皆様、本当に素晴らしい「出会い ふれあい」をたくさんありがとうございました。
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