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【作品名】㉗光
近田 裕喜(HIROKI KONDA)
島根県安来市生まれ
1967-
【作品に関して】
私たちにとって、「変わって行く」ということは、あるときは望んだり、またあるときは望まなかったりと、感慨深く刺激的で興味のあることです。
「光」は、石の内側から外に向かって、<迫り出す力〉また均衡を〈保とうとする力〉との、ゆっくりとしたせめぎ合い、その中から「どうなっちゃうんだろう?」、「何か違う物になるんだろうか?」という「不安」と「期待」。いろいろな可能性を込めた作品にしたいと思いました。
これから先、私たちの価値観も変わり、また観る人もそれぞれの感じ方、観方が異なります。それぞれの時代のそれぞれの人の感じ方、観方をしていただければと思い、題名を〈未来の希望の光〉という意味で「光」としました。
【制作】2004米子彫刻シンポジウム
【会期】2004年7月17日~8月28日
【米子彫刻シンポジウムに参加して】
初めてこの米子彫刻シンポジウムに参加させていただいのは、今からちょうど10年前、アシスタントとしての参加でした。作家さんの手伝いをしたり、関係者の方やボランティアの皆さんと会話を交わしているうち、いつかは自分もこのシンポジウムに参加して作品を作り上げてみたいと思っていました。そして今回、参加できることが決まったときは、嬉くて嬉くて、数日間眠れない日が続きました。
2004年7月17日、ついにその日がやって来ました。待ちに待った日です。朝から日が暮れるまで、彫刻の事だけに集中して、彫刻のことだけを考えながら、仕事ができるということは「最高!!」。
こんなことは、これまでそうあまり無いことでした。そして、贅沢なことだなあとつくづく思いました。休憩時間にはお茶が、食事時には食事を出していただき、また作業をしていてちょっとでも不都合なことがあると、事務局の方やボランティアの方々に、迅速な対応をしていただいて、仕事は順調にはかどりました。でも、悔しいこともありました。本来、私は夜型人間です。夜はどんなに遅くまででもガンバレるのですけれど、朝には滅法弱いのです。朝、私が会場に行くと既に他の作家の皆さんは全員来られていました。
期間中、大変暑い日が続きましたので、みなさん4時とか5時には会場入りして準備を整えておられたのです。ここはやっぱり地元の私が一番乗りをして、他の方を迎える意気込みでないと、と思いつつ?。いつもより夜早い時間に寝て努力したのですが、会場一番乗りにはなれません。そのうち他の作家の皆さんは各々一番乗りを果たされ、ついに私一人だけが取り残されてしまったのです。そして、ちょうどシンポジウムが始まって2週間目、ようやく私は会場一番乗りを果たせました。
その日は、朝の爽やかさと念願がかなえたことの、二重三重の喜びを1日かみしめて制作に励むことができました。けれども、結局、私が一番乗りを果たせたのは全日程の中で2度だけ。それでも一番って言うのは、本当に嬉しいなあと感じました。そうやって、朝早くから仕事をしていると、公園を散歩される普段出会うことのない様々な方に会うことができました。そうして毎日のことですから、徐々に話ができるようになり、その中の会話でこういうことを言われた方がおられ、とても印象的でした。
「建物の耐用年数は、数十年。石は、はるかに長い年月持つから、やりがいがあるねえ」と。これから、この作品、そしてこの彫刻シンポジウムが、時を経て、いろいろな人々の目に触れ、新しい時代の礎になって行くんだなあと感じました。
このシンポジウムによって、たくさんの人々と出会え、ふれあえたことによって、私の作品は完成しました。心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
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