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【作品名】㉙YuNAGI
西川 淑雄(YOSHIO NISHIKAWA)
大分県生まれ
1950-
【作品に関して】今回の作品のコンセプトについてですが、人体におけるにじれという事が最初にあったと思えます。このねじれた形を表現するには、人体の前面より背面からの方が表現しやすいのではないかと思い、中海を背景にした女性の人体が最初のデッサンでした。腰、肩、首、頭、といったようにねじれて動いて行く形は非常におもしろく、これを表現する作業自体、実に写実的な技術を必要とする作業なのです。しかし、この作業自体技術を前に出さない様にしなければいけない、でなければ、はなもちならない作品になってしまうのです。又もう一つの要素としてマッスのつかみ方で、上半身を下半身より小さくする事によって全てのバランスをとるといったような仕事を入れる事によって、技術的作業に終わってしまいがちな人体彫刻というものをもっとよりリアルに、人体の形として捉えようとしているのが、今の私の人体作品をつくる上でのコンセプトとして考えています。
【制作】2000米子彫刻シンポジウム
【会期】2000年7月22日~8月30日
【米子彫刻シンポジウムに参加して】
以前より米子のシンポジウムに参加したかったのですが、願い適って揚々と米子に来ましたが少々淋しかった事は、街中にシンポジウムのカンバンひとつ見当らなかった事です。思っていた程盛り上がってないのかなぁ等と思いながら会場に行きました。
私が一番乗りだった様子で舩越、祖田、池田、三氏が迎えてくれました。この40日間で全身像一体仕上げなければと、その事ばかり考えていました。とにかく目処が付くまでは観光は一切しない、休まない、と来る前から決めていたので1日も早く仕事を始めたいというのが本音でした。今夏は特に暑かった様子ですが、私自身はあまり感じていなかったのです。朝8時頃から始め夕方6時頃まで仕事をしました。今思えば良くやったなぁと思っています。これも、ボランティアの方々、役所の方々、美術館の方々、そして朝日町の方々のおかげと思っています。楽しかったです。
仕事をして帰るだけの毎日では、おそらく精神的にも、持たなかったと思います。この40日間で思ったのはシンポジウムに対しての思いが、それぞれに強いため意見の相違が表面化して来ている事ですが、でもこれはどこのシンポジウムもいっしょで逆に無い方がおかしいくらいです。思いますに米子市民の方々の方が、このシンポジウムが中央では名が通っている事に気付いておられないのではないかと思うくらいです。このシンポジウムに出たいという彫刻家はけっこういます。
この組織が一枚岩でないとしても、色々な方々と話して見てもこのシンポジウムをやめたいと言われる方はいなかった様に思います。ボランティアの方々も、役所の方々も、美術館の方々も皆一生懸命やってくれました、もちろん参加作家も同じです。予算を削られようが、街中にカンバンが無くても、作家(私にしときましょう)は、淋しさとは、感じるものですが、楽しさ、憙びは、見つけるものだ、くらいは知っています。この40日間は、淋しいものより楽しい事の方が多かったのは事実でした。彫刻も頑張った、酒も呑んだ、ただ観光がほとんど出来なかったのが残念でした。又時間を作って来て見たいと思っています。
朝早く中海を滑るヨットが実に心を和ましてくれました。米子城跡には登れませんでしたが、島根半島に沈む夕日は本当に美しくこんなタ刻を過ごせたのは幸せでした。こんなひとときは何年ぶりだった事でしょう。それに女性が美しい方が多かったように思います。
意見の相違なんてものはあたりまえ、物事はやり始めたら続ける事です。中身は、序々に充実して行けば良いもの、この文化活動を運動として頑張っていただきたいと私は思っています。最初に感じた淋しさなんて五日もすれば忘れてしまいました。最後に、米子市民の方々に心より御礼申し上げ益々のご発展をお祈り申し上げます。
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