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【作品名】㉜あかね雲
西村 文男(FUMIO NISHIMURA)
島根県松江市生まれ
1948-
【作品に関して】
山陰地方は雲の出やすい気候風土です。私の生まれ育った松江の湖畔から見る宍道湖の落日は壮麗なものでしたが、今回のシンポジウム会場から見る中海の夕景も美しいものでした。関東地方にくらべて雲の位置が低く、目線に近いところを茜色に染まって漂う雲の姿は少年時代の記憶と共に私の郷愁を誘うものでした。
アフリカ産赤花崗岩の色合いを生かしながら、あかね雲の中に少女がゆったりと座って西方の空を見上げている、そういったイメージで作品をつくりました。現実にはありえない風景ですが、夢みる季節の少女の想いと変幻自在な雲のかたちが詩的に表出された造形として、湊山公園の緑の中に浮かんでくれることを希望しています。
時には「あかね雲」の後ろに回って、窓状にくりぬかれた空間から少女と同じ目線で流れ行く雲と空を眺めてみませんか。少女の気持ちがわかるかもしれません。
【制作】2002米子彫刻シンポジウム
【会期】2002年7月13日~8月25日
【米子彫刻シンポジウムに参加して】
今年の夏は猛暑であったようである。米子地方も37度を超える気温を記録していたから確かに暑かった。しかし、実感としてそれほどの暑さを感じなかったのは中海からの涼風と公開制作をしている集中力によるものと思われる。シンポジウム会場は中海から城山に抜ける風の道になっているようで、街中の炎暑をよそに会期中を通して時に強すぎるほどの風を運びつづけてくれた。木陰での昼寝を楽しみながら、埼玉のアトリエで制作するより快適であった。
毎朝7時30分頃にコンビニで仕入れたおにぎりやサンドイッチをぶらさげて会場に到着すると、他の3人の作家は既にコーヒーを沸かして団欒しながら私を迎えてくれるのでした。それから日没まで、手元が見えなくなるまで仕事をしたのでした。飲み会が続いて深夜まで痛飲した翌日もこのペースは変わりませんでした。8月に入って完成のめどがたったところで、私は戦線を離脱して週一ペースで休暇をとるようにしたけれど、最後までほとんど休まずに仕事をした作家がいたことに敬意をささげます。おかげで日ごろの倍ぐらいの速度で作品ができたのでした。
風にたなびく洗濯物がある。その横でカレーライスがてんこもりにされ、生野菜サラダがあり、神戸牛が焼かれている。ビール片手に作家たちはくつろいでいる。ある日の昼食の風景である。最初は出前弁当だけだった昼食タイムも、それを気の毒に思ったボランティアの方々、行政担当職員の皆さんのご好意で、次第に味噌汁がつき、サラダが加わり、昼寝用の梅酒も差し入れられて前述のよう豪華なランチタイムが出現したのでした。一事が万事この調子で、作家が制作しやすいように環境を整えていただきました。感謝しています。
大山の麓、自然に恵まれた米子は人情豊かな土地でした。山陰の風土に根ざした芸術文化を育んでいこうとする気概が感じられ、活力ある方々との交流も楽しいものでした。特に女性は元気だったようです。朝日町には毎晩飲みに出かけ、日本海の新鮮な魚介類をつまみに酔うたんぼになって英気を養っていました。時として現場スタッフの方々には仕事を離れて深夜まで付き合っていただきました。ご家庭は大丈夫だったでしょうか。
昨今の地方自治体の財政難で彫刻シンポの行く末にも暗雲が出はじめているようですが、百年の計にたって民間と行政が叡智を絞って柔軟な対応をしていけば解決できる問題のように思われます。米子彫刻シンポは回を重ねて今や日本有数の彫刻シンポに育っていて彫刻の世界では有名なのです。たくさんの石彫家が米子に来たがっています。これも実行委員会の皆様のご努力の賜物でしょう。第8回米子彫刻シンポジウムのメンバーのひとりとして改めて御礼申し上げます。米子市の皆さん、がいにだんだんでした。
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