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【作品名】㉚記憶の形象
斉藤 和子(KAZUKO SAITO)
東京都生まれ
1960-
【作品に関して】
身体で感じたことがすべてだった時代は遥かに遠い。目まぐるしく変化していく日常に、かすかな目まいを感じながら、私は過剰なまでの情報の中に漂う自分を感じている。目のまえの出来事は刻々と通過してゆき、時間の経過が止まることはない。そして私というフィルターを通って、溶け込んだものだけが記憶の池に沈んでいく。
「記憶」は1987年から続いている私の彫刻のモチーフです。私の内側にある記憶の池をのぞいた時に、見え隠れするぼんやりと甘美な光に包まれた記憶。そんな曖昧な記憶が気にかかり、その断片を石という素材の中に見つけています。彫ったり磨いたりと身体を使い制作していくことで、記憶は反すうされ「記憶の形象」となるのです。そして作品は私の外側の日常にもどって行きます。また誰かのフィルターを通り、記憶の池に溶け込み沈んでいく事を望んで。再び情報の一つとなって流れて行くのです。
【制作】2004米子彫刻シンポジウム
【会期】2004年7月17日~8月28日
【米子彫刻シンポジウムに参加して】
猛暑の中、湊山公園にて43日間のシンボジウムは始まりました。アトリエでの制作とは勝手が違い、リズムが出来るまで少々ハードな面もありましたが、毎日自転車で通う制作会場は、事務局やボランティアの方達にサポートしていただき、いつしか使い慣れたアトリエとなっていきました。公園というオープンな空間で開催されていることもありたくさんの人達に観ていただき、彫刻に興味のある人だけでなく公園を訪れるいろいろな人達にライブで彫刻制作を公開する事が出来たことは私にとって有意義なことでした。彫刻制作を通していろいろな人達とのコミュニケーションは楽しい面ばかりでなく大変な面もありました。しかし、逆にそれが心地よい緊張感ともなり、結果として充実した43日間を過ごすことが出来た一因になっていたと思います。
私の設置場所は公園の中で、作品の周りに桜の木々と西に広がる中海からの風を感じる事が出来る場所です。残念ながら下見に訪れた時期はまだ寒く、桜の花芽のかたちも見えない頃で設置場所の桜の花と夕日の素晴らしいことを説明で聞きました。冬枯れの空間に桜の淡いビンクと夕日の暖かなオレンジと潮の香り、そんな色彩と空気に包まれた風景を思い描くうち、何か懐かしいやわらかな感じをイメージしたように覚えています。そんなやわらかな空間を心地よく受けとめ、空間の中に溶け込むような彫刻作品を制作したいと思いプランを考えてきました。「制作中も毎日設置場所をのぞきに行きました。花の頃はとうに過ぎ、盛夏の桜の木は緑に輝き凛とした表情が印象的でした。花も良いだろうけど緑も良いです。そして四季折々の桜や植栽の彩りに包まれた空間は、作品に色々な表情を与えてくることでしょう。そして想像以上に鮮やかな中海に沈む夕日は作品をより甘美に照らしてくれそうです。春の風景をイメージしていた私にとって、これは嬉しい大きな誤算となりました。
作家にとって制作とは作品との葛藤と蜜月の時間です。そして完成とは作品との決別の時なのです。作品が完成した瞬間から、それはもう作家の手から離れてしまい、作品は置かれた空間に溶け合うことで新たな彫刻空間を作っていきます。彫刻作品とは作家との葛藤と蜜月によって生まれ、取り巻く空間によって育っていくような気がします。だから彫刻にとって置かれる空間とそれを取り巻く環境はとても大切なことなのです。設置空間を含めた作品制作が出来るということは、作家としては必要最低限の条件のはずなのですが、現実には作品設置の時、大変実現が難しいのが設置空間です。
今回、米子シンポジウムでは最初から設置空間も含め作品としてプランさせていただき、そしてほぼイメージ通りに制作することが出来ました。これは簡単なことのようで大変なことです。関係者の方々の多大な協力と理解があったからこそ実現出来たことだと思っています。本当にありがとうございました。あとは作品が取り巻く空間に溶け込み、より多くの米子の人達に愛される存在に育っていけるか、ということだと思っています。どうぞ末長く見守ってやってください。
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