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【作品名】⑧夏・風の詩(うた)
須藤 博志
(HIROSHI SUDO)
高知県生まれ
1948-2015
【作品に関して】
暑い夏の日、少年は緑の葉を揺らして来た風にふと遊ぶ手を止め、青く輝いた深い空とゆっくりと流れる白い雲を眺めていた。
額の汗が、また一つキラッと光って落ちた。赤い円形の石は、太陽と夏、その赤石が風を横切り、少年の夏の思い出を形づくった……。
【制作】’90米子彫刻シンポジウム
【会期】1990年7月29日~8月31日
【’90米子彫刻シンポジウムに参加して】
米子の味と朝日町
山陰とは名ばかりの、青空と緑こい米子に着いたのは、7月28日。覚悟はしていたのですが、6トン近くの我が原石を前に、鳥取の観光の夢は儚くも消え去ろうとしておりましたが、人間窮すれば通じるもの、夜という時間がありました。
シンポジウムも一週間がたち、石も少し形を変え、作家達の二部のシンポジウム(酒宴)も話題がなくなり、目と目を見合わせて一杯では手持ち無沙汰を通り越して、色気のないこと。そこで思いついたのが、夜の観光。むつけき男性3人又は2人が似合う場所、それは朝日町。気がついてみたら、4日いや3日とあけず朝日町の人となっておりました。
一飲み一飲みの水割りに、昼間の堅い思いも、石粉の煩も解けて流れていく思い。又会計が良心的で、我が懐は感謝感謝。毎回一度は寄っていた司のママさん。一ケ月間お世話になりましてありがとう。又錦亭の女将、大変な歓待で米子の良い思い出となりました。いつも飲んでいた水割りの水、どの店も特別のミネラルウォーターではなかった様ですが、なかなか良い味、生活水が良い水なのですねえ。味のことでは、「わりごそば」関東の「ざるそば」になれた私には、少々経験不足で、いま一つだったけど、天然鮎はいつになく多く口にするし、いかも魚の刺身も流石米子、私の土佐の田舎に負けてはおりませんでした。浅念だったのは、冬でなかったこと、蟹を宿題にのこし、時間をみつけて今度は、冬に観光旅行などしたく思っております。
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