横山 徹 1954- 滋賀県生まれ
1992年制作
【市民から見た作品】
「この作品、何に見えますか」とお馴染みの質問をしてみた。想像通りではあったが作品の鋭利な部分を見て、カッターナイフという意見がいくつかあった。確かにここまで鋭利なものは、刃物類を想像する事方も多いだろう。似たような意見で剣という意見もあった。ここまでの大きさになると大剣と呼んだ方がいいのかもしれない。
刃物類を離れると、海の岩場やいったもめんという意見があった。ゲゲゲの鬼太郎が街に浸透している米子地区だからこそでたアイディアだと感じた。確かにこの細さ、言われてみればいったもめんに見えてくるかも。
【移住者・CAから見た作品】
6つの棒から構成されているこの作品、見た目は尖ってはいるのだが、それぞれが綺麗に揃っている印象があり、怖いと言うような印象は受けなかった。一つ単位で見れば、市民の皆さまの声にもあったカッターナイフのような印象を受けるが、それがアトランダムではなく、角度、長さまで精密に考えられて配置されているのを見ると、「剛と柔」という単語が思い浮かんだ。
なぜ米子でこの作品に至ったのか。どんなインスピレーションがあったのか。もちろん心の内は分からないが、猛暑の中で行われた作業の事を考えれば、作業以外の米子時間はきっと「柔」であっただろう。私も関東から移住をしてきて、米子のゆったりすぎる時間に柔らかさを感じたことがある。もちろん今のは私の想像に過ぎないが、このブログを通して、彫刻ロードを歩く時間が皆様の「柔」の時間になれば良い。(佐々木)
【作者の作品に関する想い】
この作品は光と時間を一つのテーマとして取り組んでいます。石切場に行くと、ダイナマイトによって切り出された巨大な岩肌に出会うことができます。何億年も眠っていた岩が、人間の手によって太陽の光のもとへさらされるわけで、まったく石たちにとっては迷惑な話です。今回は、割れた石の肌と人工的に手を加えた部分によって構成されていますが、一日の、また季節の時の流れの中でどのような表情の移り変わりを見せてくれるか、私自身楽しみにしています。
【編集後記】
光と時間をテーマにした作品。我々には想像もできないくらいの悩みがあったのではと感じる。作者の想いを読んで、割れた石のの肌がこんなにも露出していたことに気づいた。ここまで尖っているとそこに目がいってしまうが、もっと全体像を捉えることが、このブログ作成者としての責務だと感じた。作者は一日の、また季節の時の流れの中でどのような表情の移り変わりが起こるのかを楽しみにしていたが、このように作者の想いに触れることでも、作品の表情が変わって見えた。(佐々木)
Comments