ロバート・シンドルフ 1951- オランダ生まれ
1996年制作
【市民から見た作品】
「この作品、何に見えますか?」と今回も皆さまへお伺いしました。まず一つ目の考えは「アコーディオン」。確かにギザギザの部分が折り畳めそうな見た目をしていて、アコーディオンに見えてきました。真っ直ぐではなく、ちょっとうねっている感じがよりそのように見せています。
楽器の次は「繭(まゆ)にくるまった蚕」という考えです。実は私は蚕を写真ですら見たことがなく調べてみると、蛾の一種でした。まさかこの作品をイメージしながら、蛾の画像が出てくるとは思わず、びっくりしてしまいました。どうやら「繭にくるまった」の部分が非常に大事で、蛹(サナギ)状態のことを指していたのかなと思う。
最後は人気の食べ物シリーズで「ウインナーパン」だ。毎回思うが、石(彫刻)を見て食べ物が思い浮かぶのは、とても面白く感じる。きっと先っぽにちょびっと出た部分が、ウインナーだろう。勝手なイメージだが、長いウインナーは反ってるイメージがあり、この作品の見た目ともぴったりだ。
【移住者・CAから見た作品】
素人目でも作るのが大変だったであろうと感じる作品。土台の上に乗る石は、海老反りしている。大きな石をこの形に削ったのか、それとも所々黒いラインが入っているが、接合しているのだろうか。作品には小刻みなラインも沢山入っている。整合性のある線ではなく、どこか無造作にも見える線の数々が、この作品の味を出し、鯨が泳いでいるかのような強さも生み出しているように見える。仮にこの作品に線がなかったらどうだっただろうか。ここまでの強さは表現できただろうか?できていないだろう。
土台にも目を向けてみる。上と同じように線が入っている箇所もあれば、石の素材を活かした、手の加わっていない面もある。ここまで彫刻作品をいくつか見てきて、あえて手を加えない作品があることも知った。この作品もそうであるのだろうか。上と下の対比という意味では、その差が色濃く表れている。どちらかと言うと泥臭く、大きいものをしっかりと支えている「下のパート(土台)」。きっと上ではなく下にあれば椅子にでも間違えられそうな、上でこそ輝く迫力ある「上のパート」。どちらが欠けても作品として成り立たないだろう。(佐々木)
【作者の作品に関する想い】
「オファリング」 という言葉は、捧げるという行為、また精神的世界、神、あるいは宇宙を意味します。それは、未知の実在に対して与えられる神秘的なコミュニケーションも含みます。これは私個人の、人生の積極的な要素としてのオファリングでもあり、アメリカと日本の親善のジェスチャーでもあるのです。そのイメージは円に基づいています。円は完全な調和であり、それは、始まりとか、終わりを持ちません。それは太陽、天、完全、そして生命の循環のシンボルであり、平和的なイメージです。この円の一部は、空に向かって伸びる人の腕のようです。それは、宇宙を抱き締めており、またそれ自身を空へ捧げているのです。地球の一部である石は永遠です。そしてオファリングもまた永遠なのです。
【編集後記】
オランダ出身の作者の作品への想いは、やはり日本の考えの枠にとらわれていない、今まで見たことない発想が元になっていると感じた。タイトルにもなっている「オファリング」。どちらかと言うと株式を市場に売り出すという意味合いの方が浸透しているかと思うが、ここでは捧げる行為や、それに付随するものとして紹介された。日本ではなかなか「神」の存在が議論にならないため、このような考え方も少ないかと思うが、offerが変化したものと考えれば、確かにこちらの意味の方が自然である。
いよいよ作品部に触れていくが、海老反りと表現したこの形は、円の一部であり、また空に向かって伸びる人の腕をイメージした物だった。確かに作品の端には接合部のような部分があり、作者はスペース、そして作品のバランスさえ許せば円を作ったのだろう。
私がこの作品、作者の想いを通してこの作品に抱いた印象は「永遠」である。作者の想いが詰まったこの作品はこの先、時代が、そして米子がどのように変化を遂げようとも永遠に残るのであろう。彫刻の街「米子」にとって、この作品は未来とコミュニケーションを取れる作品であり、まさにオファリングである。(佐々木)
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