Jean-Francois DEMEURE 1946- フランス シヴレー生まれ
1998年制作
【市民から見た作品】
この作品では、周りに並ぶ椅子の中で一つ赤色のものがあるので、それにどんな意味が込められているのかを4択のアンケート形式で尋ねてみた。選択肢は「赤い羽募金」「鳥居」「情熱」「その他」である。
個人的には難しいのではないかと思ったが、皆さんお見事で、約65%の方が正解を選択した。ここまで読んで、皆さんは正解が分かっただろうか。この場で正解を記してしまうと、この後の構成に支障が出てしまうため控えるが、決して簡単な問題ではないものを皆さん正解するあたり、彫刻に囲まれて育った米子市民なのだろう。
答えを楽しみにしながらこの先を読んでいただけるとありがたい。
【移住者・CAから見た作品】
過去の作品画像を見てみると、作品の表面には何もないが、今回このブログを書くにあたって作品を見てみると、手形が円形状に刻印され、様々な言語でのメッセージも書かれている。このように作者が作品を作り終えた段階が完成ではなく、それからも手を加えられている作品はここまでで初めてで、不思議な感覚を味わう。
立地も幼稚園の前にある公園内であり、何か「平和」のようなメッセージ性を感じ取った。手形にはどんなメッセージがあるのだろうか、一度ゆっくりと考えてみる。米子へ来てからは、皆生のビーチ沿いでも手形の刻印があった。これまでの人生で考えてみると、印象にあるのは小学校の前に卒業生の手形が並べられた光景だ。図工の時間の作品なのだろうか。とにかく手形は何か懐かしさを感じさせる。このようなものがこの作品にある意味、もしかしたらこの作品を風化させない意味があるのかもしれない。この作品に手形がなければ、今後の生活で思い出すこともあまりなかったかもしれない。でも手形があることで、今後手形を見た時にこの作品を思い出す。これこそが手形の魅力かもしれない。
そしてこの作品、もう一つ忘れてならないのは、赤く塗られた石である。昔の写真に比べると若干色が落ちたようにも感じるが、今でも存在感がある色だ。真ん中の円柱や周りの石だけでも成立しそうな作品だが、この赤色の石があるとないとでは印象が全く異なる。赤は情熱的な色だ。そして熱くなれる色だ。手形の数だけ、言語の数だけ想いを感じるが、それを引き立てているのはこの石かもしれない。奥の深い作品だ。(佐々木)
【作者の作品に関する想い】
社会性を持った彫刻この作品は人と人とを結びつけ、通りがかりの人々に詩情を注ぎ近郊の景色、あるいは遠い風景を想起させるコミュニケーション・スペースである。見られる為だけに在るのではなく、そこに集う 人々もまた彫刻の一部となる。テーブルの上面には、小林一茶の句「露の玉 つまんで見たる わらべ哉」が日本語を含め、フランス語、アラビア語など多種の言語で彫られている。その面は米子市民の手形で縁取られ、その手形にはおそらく露が溜まっていることだろう。楕円形のテーブルの周りには六つの腰掛けが配されている。一つは赤く塗られ(鳥居の色を連想させる)、他の五つはそれぞれ別種の御影石で別々のかたちに彫られている。それらのかたちは、五輪塔の「地輪、水輪、火輪、風輪、空輪」から採られている。
【編集後記】
初めに書かれている「社会性を持った彫刻」にこの作品の全てが詰まっているだろう。今までも周りの風景を含めて作品としたものはあったが、この作品は、この作品に集う人々も彫刻の一部としている。
どうやら手形は米子市民のものであり、文字は様々な言語で書かれた小林一茶の句であった。奇しくも私が生まれた1998年の作品であるが、この時代は今ほどの多様性を求める社会ではなかったと思う。作者自身がフランス生まれと言うことはあるが、この時から様々な国の、年代の人が、この作品に集まる事を考えていたなんて、その想いに頭が上がらない。
周りにある石(腰掛け)にもどうやら大きな意味があるようだ。私が気になっていた赤色は、鳥居を連想させているものらしい。鳥居は日本の魅力が詰まったものだと考える。このような様々な人が集う場所にそんなものを連想させるものが置いてあるとは、これまた面白い。
作品を形成するパーツ一つ一つに意味があり、まさに6人が集まってこの作品の話をすれば、その秘密にも気付けそうな気がする。「集う人々もまた彫刻の一部となる」と言う考え方には、彼らの対話ももちろん含まれるのだろうか?(佐々木)
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