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執筆者の写真ネギタ

#25 再生

田中 等 宮崎県生まれ 1949-

2000年制作


【市民から見た作品】

この作品では、作品のタイトルが何であるかを4択のアンケート形式で皆さまにお伺いした。選択肢は「未知」「再生」「希望」「その他」の4つであった。

正解については後ほど触れるが、なんと56%の方が正解であった。選択肢を考えた身としては、他の選択肢もそれっぽいかなと思っていたが、さすが米子市民である。中にはタイトルではなく、「割れ目が無くなって元に戻っていく感じ」とご自身からの見え方を教えてくださる方もおり、大変勉強になった。


【移住者・CAから見た作品】

円の形をした石、そしてその真ん中が円形にくり抜かれている。どこか昔の硬貨である「和同開珎」を想像してしまう。調べてみると埼玉の秩父には和同遺跡と呼ばれる、「和同開珎」の原料の自然銅が取れた場所があるらしい。そしてそこには人よりも大きいであろう直径の「和同開珎」像がある。

この作品も大きさこそそこまでは大きくないものの、フォルムはとても似ている。違う箇所、いわばこの作品で特に掘り下げたいポイントは左右にある切り込み、そして中心にあるアミアミだろう。

わたしにはこの切り込みが、この作品を上下2つに分けるためのものに感じた。この左右の切り込みが中心に達すれば、もちろんこの作品は形を留めることができない。それは作品にとって終わりであり、始まりとも捉えることができる。この切り込みの深さをみると、何者かのこの作品を壊したいというような力を感じる。

そして中心にあるアミアミにも触れていく。これは人間が持つ嫌悪や憎悪が具現化したものに見える。これは作品にとって決してマイナスではない。切り込みと連動していて、この作品を壊したいという感情の延長線上かもしれない。とにかく少しゾッとするような、そんな存在感を感じさせる彫刻である。(佐々木)


【作者の作品に関する想い】

町の高台の一角に、古墳の散在する畑地が静かに広がっています。有名な西都原古墳に対して、東都原古墳と呼ばれています。その中の一つに石舟塚という古墳があり、塚の頂には盗掘に遭った石棺が橡の木の下に放置され、雨風に晒されたままになっています。けれども棺の内側には今も鮮やかに、埋葬時の紅ガラが残っているのが印象的です。私が「再生」というシリーズで石に紅ガラを塗るようになったのは、単純に紅ガラと黒御影石の組合せに強く惹かれたからでした。カッティング部に土俗的な色彩の紅ガラを施すことによって、その陰影の中から作品に接する人々の様々な想念が蘇り、同時に有機的なフォルムが再生してくるというコンセプト。しかしこの表現の原点は、若いころ孤愁を紛らわせるためによく訪れた、あの石棺の記憶にあったようです。つまりは、石と紅ガラの組み合わせは、古人の感性が私個人の感傷を経て蘇生されたとも言えるのでしょうか。 


【編集後記】

私は少しゾッとすると表現したが、この感覚はおそらく石棺からくるのだろう。

作者は「再生」というシリーズを作り、石に紅ガラを塗っていると記しているが、確かに見てみると石本来の色ではなく、作られた紅色であった。

私は本物の石棺を見たことがないので分からないが、棺の中に紅ガラが残っている光景は作者に対して「再生」というシリーズを作らせてしまうくらいのインパクトを持っていた。今この時代にこれほどまでに影響を与える色があるという事実も凄いが、だからこそ石棺に使われる色に選ばれたのであろう。

作品の切れ込みなどについては触れられていなかったが、「再生」というタイトルを踏まえると、まだ気付いていないこの作品の真理に辿り着けそうな気がした。(佐々木)



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