西川 淑雄 1950- 大分県生まれ
2000年制作
【市民から見た作品】
今回は「この作品のタイトルはなんでしょう?」と皆さまに伺った。やはり人が出ている作品はイメージが湧きやすいのか、多くの方にご回答いただいた。ありがとうございました。
タイトルを伺う質問だったが、なんと同じ回答があった。それは「絶望」という回答だ。うつむく人間がそのように見えたのだと思う。
それに似ている回答としては、「酔い潰れて泣いている女性」というものだ。絶望には原因があったと思うが、これはその原因にあたる回答だと思う。
絶望系とは違う観点だと寝ているのではという回答もあった。ただ面白いのは寝ていた時間の長さが見る人によって違う点である。「長い眠り」「うたたね」というものがあった。どちらかと言えば「長い眠り」は絶望系であろうか。この体制で長く寝てしまうと体の節々が痛むのではないかと不安になってしまった。「うたたね」くらいである事を祈るばかりである。
【移住者・CAから見た作品】
前回の「ゆめについて」も人間が出てきたが、この作品も人間が登場する。ただその姿は、前回が顔がはっきりと見え、意志を感じることができたのに対し、うつむいた状態で表情から何かを読み取ることはできない。
ではそのフォルム、体制から何かを読み取ろうとするわけだが、なんとも哀愁が漂う感じである。体制だけをみるとうたた寝してしまった状態の可能性もあるが、どうも色や背景を考えると、そのような一部分を切り取った作品には見えない。
私の好きな映画「レ・ミゼラブル」には仕事を失い、外に放り出され、絶望する女性のシーンがあるのだが、そのシーンを思い出した。人生に絶望した時、周りの人が感じ取れるくらいの負のオーラが漂うのであろうか。
もしかするとこの作品はこのような哀愁を感じさせたい作品ではないかもしれないが、その時はもう一度作品を生で見に行きたいと思う。ここまで沢山の作品を見てきて感じるのは、様々な感性を働かせる必要がある作品は本当に面白いということだ。それは自分自身の持っていない知識、また知らず知らずの内に持つ偏見に気付くという事なのだろう。自分の未熟さを理解した上で見る作品は、また違った感想を抱くだろう。(佐々木)
【作者の作品に関する想い】
今回の作品のコンセプトについてですが、人体におけるねじれという事が最初にあったと思えます。このねじれた形を表現するには、人体の前面より背面からの方が表現しやすいのではないかと思い、中海を背景にした女性の人体が最初のデッサンでした。腰、肩、首、頭、といったようにねじれて動いて行く形は非常におもしろく、これを表現する作業自体、実に写実的な技術を必要とする作業なのです。しかし、この作業自体技術を前に出さない様にしなければいけない、でなければ、はなもちならない作品になってしまうのです。又もう一つの要素としてマッスのつかみ方で、上半身を下半身より小さくする事によって全てのバランスをとるといったような仕事を入れる事によって、技術的作業に終わってしまいがちな人体彫刻というものをもっとよりリアルに、人体の形として捉えようとしているのが、今の私の人体作品をつくる上でのコンセプトとして考えています。
【編集後記】
作者の想いを一度読んだタイミングで、私は哀愁などと的外れな表現をしてしまったのかもしれないと思ったが、もう一度読んでから考えてみると、「ねじれ」とは普通の状態ではないので、その普通の状態ではないという事を感じ取って「哀愁」と感じたのかもしれないと納得した。
ともあれ、この作品は人体においてねじれを表現したいという思いから始まり、よりリアルな人体彫刻を目指したものであった。素人目ではなかなか気づくことはできなかったが、上半身を下半身より小さくするという工夫もあった。人体を作る上で、「哀愁」などのオーラを感じさせることは、技術が必要なことであり、よりリアルに近いとも言える。
私は彫刻作品を作ったことがないので、技術云々については評価をすることはできないが、米子シンポジウムが米子市民にも支えられながら、作者の意欲を掻き立て、熱く、そしてレベルの高い日々出会ったことは感じ取ることができた。(佐々木)
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