西村 文男 1948- 島根県松江生まれ
2002年制作
【市民から見た作品】
皆さんに「この作品、何に見えますか?」と聞いてみました。形がはっきりした作品だったので、確かにそう見えるとなる回答があり、読んでいて私も面白かった。
可愛い意見だと「窓で休む鳥」というものだ。確かにサイズ感などを考えると小鳥に見える。この作品には枠があるが、それを窓と表現するのも素敵だと思った。そしてその小鳥は窓にただ停まっているのではなくて、休んでいるのだ。この感性、グッときた。
もう一つの意見としては、「カメラのフレームの中」というものがあった。この形は枠をカメラのフレームと表現したようだ。少し前にこの企画を通してファインダーという言葉を覚えたが、もしかするとファインダーの事を指しているのかもしれない。被写体は座っているのは人であろう。背景も含めて非常にいい構図で、素敵な写真が撮れるだろう。
【移住者・CAから見た作品】
遠目に見ると今話題のYouTubeのアイコンのように見えてくる。YouTubeでは赤く、角が丸い四角形の中に白い三角形が押されている形である。外枠の形はこの作品も同じで、中には小さな人が座っているように見える。
公園の通りの中、自然に囲まれたロケーションにあるので、小さな人はジブリの作品に出てきそうな小人にも思える。小人の目線に注目してみると、正面ではなく、意図的に右上を眺めているようにも見える。ネットで人が右上を見る理由を調べてみると、「これからの未来」を想像している時の動きだそうだ。もちろんそれが作品にもそのまま適用されるとも思わないが、
この米子に彫刻ロードの作品として生まれたことに対して、何かを考えているのかもしれない。
最後に小人がどこに座っているかであるが、これはフィルムの中の世界でないかと思う。先程のジブリに繋がるが、どこかこの現実世界の人間とは一線を画く雰囲気を纏っている。そう考えるとどこに座っているのかではなく、どの空間にいるのかという表現の方が正しいのかもしれない。作品の角度、また時期が変わるとこのフィルムから見える景色も大きく変わってくる。それぞれが好きな見え方を探して欲しい作品である。(佐々木)
【作者の作品に関する想い】
山陰地方は雲の出やすい気候風土です。私の生まれ育った松江の湖畔から見る宍道湖の落日は壮麗なものでしたが、今回のシンポジウム会場から見る中海の夕景も美しいものでした。関東地方にくらべて雲の位置が低く、目線に近いところを茜色に染まって漂う雲の姿は少年時代の記憶と共に私の郷愁を誘うものでした。アフリカ産赤花崗岩の色合いを生かしながら、あかね雲の中に少女がゆったりと座って西方の空を見上げている、そういったイメージで作品をつくりました。現実にはありえない風景ですが、夢みる季節の少女の想いと変幻自在な雲のかたちが詩的に表出された造形として、湊山公園の緑の中に浮かんでくれることを希望しています。時には「あかね雲」の後ろに回って、窓状にくりぬかれた空間から少女と同じ目線で流れ行く雲と空を眺めてみませんか。少女の気持ちがわかるかもしれません。
【編集後記】
外枠は雲であった。あかね雲。確かに米子は東京に比べて空が近く感じていたが、もしかすると作者が言うように、雲の位置が低いというのは関係してるのかもしれない。雲の位置が低いからこそのあかね雲が見えるのかもしれない。確かに宍道湖も綺麗だが、米子の夕日も本当に綺麗だと思っている。そのような情景を、赤花崗岩の色合いを活かしながら表現されており、松江出身の作者であるが本当にありがたいと思った。
座っているのは少女であり、西方の空を見ていた。決して右上を見ているわけでなく、意志を持って空を見ていた。雲に座る少女、現実には確かにありえない作品ではあるが、作品を通しての違和感は全くない。いい意味であかね雲が現実と作品の境界を表しているような気がする。私の言ったジブリの世界観もあながち間違ってはいないかもしれない。どこかおとぎ話のような、ふわふわとしてくる作品である。(佐々木)
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