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執筆者の写真ネギタ

#33水のかたち-conversation

高濱 英俊 1957-   熊本県生まれ

2002年制作


【市民から見た作品】

今回も皆さまへ「この作品、何に見えますか?」と伺った。特徴的な形ゆえに、様々なアイディアを教えていただいた。

食べ物系が多く、「カシューナッツ」「ドーナツをはんぶんこ」「東ハトのキャラメルコーン」という意見があった。個人的には「キャラメルコーン」に懐かしさを覚えた。最近見ないなと思い調べてみると、コンビニではなかなか売っておらず、大型のスーパーなどで売っているそうだ。それで言えばカールも関東では今は売っておらず、米子で売っているのを見て嬉しくなった。カールもこの作品みたいな形である。

それ以外のアイディアだと、「猫の手」「ハートと、それを支える手」「腎臓」などの意見があった。ここまで多くの意見がきたのは嬉しかったが、やはりはっきりと分かりやすい形だからだろうか。色々なアイディアと出会うことができ、楽しい時間であった。


【移住者・CAから見た作品】

形自体はどこかで見たことあると思う方も多いと思うが、かと言ってシンプルな訳ではなく、向き合うことで、ここまでも想像力を働かせてくれる作品に変わるのかと勉強になった。今、向き合ってとまるで2つの彫刻がある表現をしたが、2つは接しているので、もしかするとその表現は作者からすると間違っているのかもしれない。そう考えると議論の余地があり、本当に興味深い作品だと感じる。

「市民から見た作品」でもあったように、この形は本当に様々な解釈ができると思う。私ははじめ、勾玉に見えていたが、少し時間を置いてみると顔にも、もしくは口にも見えてくる。そう思えたのはきっと、土台の存在感だろう。ここまで多くの作品を見てきたが、土台に存在感を持たせる作者もいれば、持たせない作者、また土台を用いない作者など様々なタイプがいることが分かった。ただどのタイプの土台の主張が激しいタイプは少なく、そう言った意味でこの作品は少し異質とも言える。真っ直ぐな直方体でも良かったところ、土台自体にも湾曲が見られ、体のようにも見える。つまりここまで様々な彫刻のブログを作成した中で、土台への関心が出たための見え方の変化である。そう言った意味で、ここまでの自分自身の変化・成長を感じた。

素人でここまで彫刻作品のブログをあげる若者もそこまで多くないと思うが、彫刻はそれぞれの感性に委ねられている状態であり、その中で成長を感じられたことは素直に嬉しい。(佐々木)


【作者の作品に関する想い】

米子の水はおいしいです。この作品は私たちの生活に不可欠な水をテーマにしています。水には生命が宿っています。ダムや干拓事業等は真剣に考え直さなければならない問題だと思います。河川の死滅は人の体でいえば血液の潤滑な流れを止めてしまうようなものです。私たち人間は生態系の一部であり、自然と一体となるべき存在です。私は地球を一つの生命体と考えます。ですからすべての地球上の物質には生命があるといえます。利益優先の社会は差別や争いや廃棄物を生み出し、自然破壊も日々進んでいます。少し考え方を変えて、自然に対してもっと愛情を持っていけば、環境も改善していけると思うのです。時を超えて私たちがやらねばならない事は、美しい自然環境という遺産を残していくことでしょう。このようなコンセプトで制作している訳ですが、私は個人の感性を尊重したいのです。大切なのは作品を観賞される方々のイメージ力です。人によって感じ方が一人一人違うはずです。ですからこの作品の説明は付け合わせ程度に思って頂きたいというのが本音です。


【編集後記】

市民の方からの声も含めて、様々な形に見えると意見があったが、作者の中では「水」がテーマであった。確かに米子の水は本当に美味しく、これだけ多くの作品があれば、水をテーマにした作品も生まれるだろうなと納得した。

作者は水、または地球というものに対して、様々な考えをお持ちであった。「自然に対してもっと愛情を持っていけば、環境も改善していけると思う」という言葉は深く、この作品を通して愛情をも感じ取ることができた。

水に形があるのかと問われると、多くの人が首を傾げると思う。水の絵を描いてと言えば、作者のような形を描くものもいれば、水滴の形を書く者もあると思う。ただそれは水の形を本当にリアルに表現したものだろうか。普通であれば考え方が少し難しい事も、彫刻であればそれを作者の想いも込めて形にできるのは魅力であろう。

ただし作者も言うように、作者の想いはこちらのイメージ力でどうとでも理解できる。これは彫刻の魅力であり、先入観を持たずに作品を楽しんで欲しい。(佐々木)


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