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執筆者の写真ネギタ

♯4こころの言葉



佐善 圭 1965-   東京都生まれ

2006年制作


【市民から見た作品】

今回は「この作品、何に見えますか?」と皆さんにお伺いしてみた。ありがたい事に本当に多くの方にご回答いただいた。そして多くの方が「手」「握手」など、「手」を連想していた。きっと結束している様子が見えたのだと思う。

彫刻の見え方に正解などないと思いますし、人の数だけ答えがあると思いますが、多くの方が同じような答えとなったのは、彫刻のメッセージ性が強かったのだと思う。

その他、「白ネギと白ネギの頭がぶつかっている」という回答もあった。個人的に大好きな回答だ。先日、白ネギの収穫体験も行ったが、確かにそう言われてみればそう見えなくもないという、新たな気付きのある回答だった。全く想像もしなかった回答に出会える。今回このブログ作成にあたって、皆様に意見をお伺いして良かったなと改めて感じた。


【移住者・CAから見た作品】

アーチ状の彫刻で、何かと何かを繋ぐものかと思ったが、結合部分の円柱状のものが一体何だろうと迷った。

ただ円柱が何を表しているのかは分からなかったが、この作品から強い意志を感じた。何かと何かが幾中にもなり、結果的に太い幹を作っている。例え一本途切れようとも、他が耐えて支えるというような結束力。

個人的には人生の大半をラグビーという、チームワークが要のスポーツと共にしてきたため、まるでラグビーのような作品でもあるなと思った。そう思って見てみると、あら不思議。なんだかスクラム(ラグビーの試合中に16人が一塊になる儀式のようなもの)に見えてきた。(佐々木)


【作者の作品に関する想い】

昨今、殺伐としたつめたく悲しいニュースを耳にする機会が増えた。戦争、紛争、暴力、民族の自立と共存、社会を極小化して見みても、弱者へのいじめや家庭内の虐待など多くの問題が山積している。情報化社会は物質と情報の豊かさを引き換えに、人と人との関係や人と社会との関係を希薄化してきた。これら一連の現象には、人間が宿命とする時代の転換期をめぐる様々な問題が色濃く映しだされているが、人間の生命環境までもが、生命観、人間観、倫理観をゆさぶっているように思えてならない。


人間はひとりでは生きていけない。かけがえのない家族や友人に支えられ、そして郷土によって見守られ、個はあたたかく育まれてきた。相互のコミュニケーションを通して人々がひとつの塊になれば、強い絆は再生されるはずである。世界との相互理解を進め、また多様性の理解を深めることが人間の共存・共生の道を拓いていくことになるであろう。生きるものの全てに内在しながら、決して目には見ることのできない「こころ」。ひとは、心を重ね合わせることによって理解し、豊かな世界を築いてきた。黒御影石に二つの支え合う「こころ」のかたちを見い出し、人間の真の強さと優しさを表現した。子どもたちに抱きつかれ、手跡でよごれ、ズボンのお尻で磨かれるような遊具となり、まちの風景に溶け込んでくれることを切に願っている。

あなたの「こころの言葉」は、どんな言葉ですか?  


【編集後記】

この作品は2006年に作られたものだが、まるで今作って、コメントを残されたかのような感覚を受けた。言い方を変えれば、日本という国が少なくとも2006年から大きく成長していないのではと、この彫刻を通して、作者の想いを通して感じざるを得なかった。

作者がこの作品にこめた「こころ」という想いは、私や市民の方など、多少の感じ方の違いはあるものの、しっかりと届いていると感じた。まだブログを書き始めて4作品目だが、これこそが彫刻の持つ力なのかなと改めて感じた。

作者の想いを知って、改めて作品を見てみると沢山の想いが詰まった作品なんだなと愛おしくみえる。なかなか子どもたちが触れるような場所にはないですが、子どもたちも彫刻というものに心を通して触れあうことのできる機会を作れたらいいなと思った。



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