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執筆者の写真ネギタ

#5心の旅・星空



鈴木 武右衛門 1949-2014 千葉県生まれ

1990年制作


【市民から見た作品】

今回は「この作品、何に見えますか?」と皆さんにお伺いした。回答の中には私と同じ考えの方もいれば、全く違うけど、言われてみればそう見えると言う答えもあり、改めて人の感性は面白いと感じた。

私含めいくつかあったのは「人の横たわる様」という回答だ。右に伸びているものが足に見え、そこから人と導き出したのだろう。一方で180°違う回答として「象」「いのしし」というものがあった。そう言われて見てみると、右に伸びたものが象の鼻、又は猪のツノやとんがった鼻に見えてきた。同じものが人や動物に見える、なんと面白い作品なんだろうかと思った。


【移住者・CAから見た作品】

不完全なものは美しいと言うが、まさにこれがそうではないだろうか。

私にもこの像は人が横に倒れているものに見えた。以前にも書いたが、私にとって彫刻は人型のイメージが強く、まず足が見え、そのあとに上半身が見えた。

仮にこの作品が人間であるならば、顔がない。過去の時代を紐解けば、晒し首という文化が平安時代からあり、きっとその前から戦では首を切ると言うことは普通であったと思う。それすなわち死を意味する。もちろん今の時代に生まれれば、首がない人を見る機会などなく、とてもじゃないが残酷で想像し難い。

だがこの作品は不思議とその残酷と言う面を感じないどころか、作品としての美を感じる。表現は難しいが、これが彫刻であり、彫刻でしかできない表現であり、彫刻の強みだと思う。(佐々木)


【作者の作品に関する想い】

煩悩や無智で自己嫌悪におそわれた時…地球は太陽から1.5億キロ離れているとか、生命の誕生は35億年前とか、シルクロードの遊人たちのこととか、宮沢賢治の宇宙観なんかを思ったりして。又、彫刻を作りだします。崩れ去っていくものが心の中にもたらす止めどない、いざないは何であろうか。 20年前、イギリスの大英博物館で出会ったパルテノン神殿の破風彫刻の前で古代人の生命とを引き換えに永遠を切望する執念のようなものを感じた。創造という行為のかけらでも残れば風化し崩れ行くものの中に人間の呪文をのこし、現代の空間に厳しく存在を出張してゆくと感じた。


【編集後記】

タイトルや、作者の想いを読んで、彫刻が表現しているものは見えているものだけではないと感じた。この作品には「煩悩や無智で自己嫌悪におそわれた時」の考えが詰まっていた。言葉で表現すると抽象的で、どこか分かりづらいものも形になると理解できる時がある。きっとその感覚に近い。私が感じた「美」も作者の考えに導かれたものだろう。

個人的には大英博物館に行ったことがあり、同じものを見たと思われるが、到底この作品に辿り着いたとは思えない。改めて彫刻作者の凄みを感じた作品だった。(佐々木)



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