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執筆者の写真ネギタ

#7 化石の街 NO.3



井田 勝己 1956- 鳥取県生まれ

1990年制作


【市民から見た作品】

今回も「この作品、何に見えますか?」と皆様にお伺いした。私自身もそうであったが、多くの方が「船」や、「船舶」と回答した。

以前にも「カバ」にしか見えないと言う作品を扱ったが、今回も形や存在感から船にしか見えないと言う方が多かったと思う。では彫刻の楽しみ方として船に見えたらお終いなのかと言うと、そうでもないと思う。今回の皆様の回答にもあったが、どんな船なのか(大きい、黒いなど)と言ったところまで考えてみると想像がより広がり、飽きずに楽しめる。 


【移住者・CAから見た作品】 

彫刻ロードのブログを書くにあたって、歴史的な背景についても調べたが、この作品の作者である井田さんは、この彫刻ロードの元となった、米子彫刻シンポジウムの発案者の1人であった。

井田さんの強い想いもあって長年に渡り行われてきた米子彫刻シンポジウム、言い換えればこの作品には大きな想いが詰まっているだろう。

見た目は重厚な船に見えた。実は井田さんの別の作品も近くにあるのだが、その作品もこれよりも大きく、より強そうな船である。

と言うことは井田さんは船の作品に思入れがあるのか、はたまた米子という街に船を作らせる魅力を感じていたのか。そう言った視点で作品を眺めてみると、意外と作品上部には人影などなく、シンプルであることに気づく。きっとこの船には人が載らないくらいの、大きな想いが載っているのだろう。(佐々木) 


【作者の作品に関する想い】

化石の街NO.3…卵2は舟のような1つの完成した形、または1つの宇宙の中に街の遺跡の様な形態を組み込むことによって個人的な面での街とのかかわりを考えさせる様な空間を表現したかった。 ですから、この作品は見る人それぞれによって感じ方や見方も違ってくるものと思われ、また作業としてもそうあってほしいと思うところです。


【編集後記】 

「個人的な面での街とのかかわり」と言う言葉は、恐らく多くの人がパッと理解できる様な内容ではないと感じる。それはこの言葉自体が難しいと言うより、街とのかかわりを日頃から意識する人が少ないからだ。

かくいう私もそうである。私が米子とどうかかわっているのか、分かっている様でわかっていない。ただ大切なことはそれが分かる事よりも、それを考えてみる事に感じる。

そして改めて思う、私は彫刻ロードの魅力をもっと多くの方に伝えたい。(佐々木)



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