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執筆者の写真ネギタ

#20 塚

百瀬 啓一郎 1950-   長野県生まれ

1996年制作


【市民から見た作品】

「この作品、何にみえますか?」と皆さんにお伺いした。私とは違った考えがあり、今回もとても興味深かった。

その一つは「ふくろう」と言う回答である。まさか生き物だとは思わなかった私にとって、なるほど、生き物って見え方もあるのかと勉強になった。確かにフクロウ独特の佇まいを感じる。

また具体的な生き物名ではないが、「白いところが口で、妖精と妖怪の間みたいな生き物」と言う回答もあった。まず、なるほど!っと言いたくなる。もの凄いフォルムをしている妖怪に見えて来る。まるでゴジラの世界に出てくるような質感で、余計にそれを感じさせる。ただ妖精というのは私の感性ではなく、回答者様の素晴らしい感性だなと思った。ここまで黒い見た目だとどうしても妖精と思うことが出来ず、私の心が黒いのかもしれない。

そして最後は生き物から離れて「台風」と言う意見。これまたその通りの見た目である。どこかアメリカのハリケーンを想像させるような風の勢いを感じる。川を背にして右から左へと進行している途中だろうか。

皆さまご回答ありがとうございました。


【移住者・CAから見た作品】

作品を近くで見ると分かるのだが、外側の素材は石の様な質感ではなく、台風が直撃すれば今にでもバラバラになってしまいそうな感じである。それゆえの儚さや、彫刻の上にある4本の枝が脆さを表している。

一つ言えるのは「儚い」「脆い」というのは彫刻作品にとって決してマイナスではないということだ。彫刻作品に置いて「儚さ」「脆さ」を感じさせることは、とても難しいと感じる。作品を紙粘土で作るのであればそれは簡単かもしれないが、もちろん彫刻はそのようなもので作るわけではなく、米子彫刻ロードの作品は雨風に当たる外の環境でも壊れることなく20年以上の時を過ごしている。このような環境において、これだけの表現をしたとなれば、それはある意味必然の「儚さ」「脆さ」なのだろう。(佐々木)


【作者の作品に関する想い】

僕が初めて米子を訪れた時の印象は、ゆったりとした優しい山々と、広々とした海であった。ずっとニューヨークのビルの狭いスタジオで制作を続けていた「塚」のシリーズの山の様な形をした作品と、この地の風景のイメージがぴったりと合い、ここで制作する機会を得た事に何かの偶然以上のものを感じた。実際に制作を始めてみて、自分がここで制作する事を可能にしてくれた人々に出会い、いかに多くの人々がこのシンポジウムを支えているか実感した。今回の米子における一ヶ月半の経験が、僕の生活の一部となり、これからの作家生活の大きな基盤となる事を確信している。


【編集後記】

「塚」の意味を調べてみると、人工的に盛土した墓であり、この世とあの世を分ける場所という意味合いも含まれているらしい。

私がこの作品に抱いた「儚さ」「脆さ」はこの塚が醸し出していた雰囲気を感じ取ったものだったのであろう。作者はどうやら元々「塚」のシリーズをご自身のアトリエで作っていたらしいが、それが米子の印象と重なったため、たまたま米子でも「塚」を作ったようだ。

米子の印象がゆったりとした優しい山々と、広々とした海というのは、移住者として全く同感だが、ここから「塚」へとイメージが流れていったのが、なんとも面白く、私だったら全くない感性だと思った。

作者の想いを読んでいると、米子でのシンポジウムは人生において大きな意味合いを持っていたのではと感じる。現在の作者がどのような形で活動しているのかは分かりかねるが、この作品の醸し出す雰囲気をしっかりと感じ取った移住者がいたことは、どのような形でも伝わると嬉しい。作者にとってはそれだけでも大きな意味を持つと思うし、何より私は「塚」の持つ魅力に圧倒された一人である。(佐々木)


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